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2008年4月

抜歯

つい先日、自分の親知らずが虫歯になって痛んだので近くの歯医者に抜いてもらったのだが、今日は娘が歯を抜かれた。下の歯がぐらぐらしていたらしいのだが、自然には抜けずにいた。歯医者には「1週間経っても抜けない場合には抜歯します」と宣言されていたようで、今日がその期限日だったらしい。そのまま放っておいても抜けるのだろうが、抜かずにいると永久歯の生え具合に影響が出るのだそうだ。

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聖書

人はどこからきて、何をし、どこへ行くのかといったことを考える。自分も「死んだらどうなるのか」、「自分が生きることに何の意味があるのか」などを考えたことはある。中学の頃だったと思う。結論はそう易々と出るものでもないし、深刻に考えていたわけでもないので、そのうちそんなことは考えなくなった。

高校に入って、英語担当教師が無料の聖書を配った。

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歯痛

数日前から、左下の奥歯が痛み出した。前回歯の治療をしたのは、もう3年程前になるだろうか。引越しをしたので、以前通っていた歯医者ではなく、近くの歯医者に行った。

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富士登山

東名を走る時に富士川SAで休憩をとることが多い。ここからは富士山がよく見えるのだが、富士山を見ると思い出すことがある。

ここ2年ばかり夏に富士登山をしている。行きたいからではなく、子供達(中高生)の引率でである。どちらかと言えば、登山は嫌いだ。運動はもともと得意ではないし、持久力もない。と言うことで、2年前初めて富士登山をした時は半ば強制的に参加させられた。山頂でご来光をながめることを目的としているため、登り始めは夜10時頃だった。初めての富士登山ということであまり知識もなかったのだが、ライトと合羽と水だけは持っていった。行く前は「富士登山なんて楽勝だ」ぐらいに思っていたのだが、後になってとんでもないものだと思い知った。

車で新5合目に着いたのは午後4時頃で、10時まで車の中で休んでいた。時間になったので外に出てみたのだが、どうも体の調子が悪いような気がする。頭が痛く、足元がふらつくような感じ。高山病の症状らしいことを、後から知った。

ライトを頭に付け、リュックに荷物をつめて背負う。以外に重い。一抹の不安が頭をよぎる。グループの中で一番体力のありそうな高校生男子達と一緒に登り始めたのが大間違いの第一歩であった。ペースが早過ぎる!歩き始めて100メートルも行かないうちに、ずるずると後退しはじめた。息が上がって歩けないため、「先に行ってくれ」とリーダーに言ってしばし休憩。のろのろと歩き始める。登山は自分のペースで登るものだと、後から知った。

夜なので当然まわりは暗い。同じパーティーの人たちとは、どうやら完全にはぐれた。しかし、登山客は多いので道に迷うことはない。上の方を見上げると、登山客のライトで完全なラインが描かれている。足取りはおぼつかないが、まあ何とかなるだろうとまだ考えていた。ところが、雨が降ってきて状況が変わった。合羽を持っていたのでとりあえず着る。時間が経つにつれて、雨はひどくなる一方だ。だんだん体が冷たくなっていくのを感じた。使い古された合羽だったので、防水効果がほとんどなくなっていたことを、後から知った。

雨が降ってどれぐらい経っただろうか、ライトがふいに消えた。電池を換えてもライトはつかない。雨がライトに浸透したようだ。それでも周りにまだ登山客がいたので、彼らの明かりを頼りにしばらくは登った。しかし、雨が浸透して体が冷え、高山病で具合が悪く、ライトがつかず、仲間はいないという状況になり、しばし座り込んでしまった。夜も遅くなってくると登山客の数が自分の周りから減り始め、その代わり夜の闇が濃くなっていった。ところで、家に帰ってライトをつけたらなんと何の問題もなくつくではないか!!壊れていなかったことを、後で知った。

ここにきて、登るか降りるかの選択を迫られているような気になり、またしばらく考え込んだ。あたりは真の闇である。行くにしても帰るにしても、危険極まりない。かといって大降りの雨に打たれながら、朝が来るのを待つという選択肢は頭になかった。結論は「降りる」とでた。結論が出ると行動は早かった。すぐ引き返す。が、道が全く分からない。頼みの綱は、登山道に張ってあるロープのみ。「俺はこんなところで、死ぬわけにはいかん」と心でつぶやきながら、トボトボ降りる。しばらく降りていって、はたと困った。「ロープがない」。行くに行けず、帰るに帰れない。終わった、と思った。

何気なく上を見上げると、ライトが何個かだんだん近づいてくるように見えた。「おお!助かった!」その一団が近くに来たので、彼らが通り過ぎた後、自分も彼らにくっついて降り始めた。ロープはなかったが、彼らのライトのお陰で「ロープなしゾーン」をうまく回避できた。「本当にありがとうございました!」と天と彼らに心の中でつぶやいた。

「後は楽勝で下山した」とはお世辞にも言えず、何度か転んだり躓いたりしながら転がるようにして帰った。

教訓 「富士登山、なめたらアカン」

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金魚

今、家で金魚を4匹飼っている。団地に住んでいるため、犬・猫の類いは飼えないことになっている(それでも飼っている方はいる)が、自分は犬や猫を飼いたいと思っているわけではない。「動物を飼うのが大変そうだ」というのが理由である。自分のことも満足にできないのに、動物の世話などなおさらだ。

金魚を飼おうと言い出したのは、妻である。正確に言うと、「金魚を飼うこと」ではなく「家に水槽を置くこと」と言ったほうがいい。「家に水槽を置くとよい。しかも水を循環させることが大事。置く場所も重要。」と、どこぞでそんな情報を仕入れてきたらしい。いわゆる風水学というものだ。よいと言われるものは何でもやってみよう、ということらしい。

さて、水槽に水を入れてただ循環させておくのはやはり殺風景としか言いようがない。折角水槽があるのだから、金魚を飼おうということになった。娘も「金魚、金魚!」とやかましい。近くの金魚屋に行って、娘に金魚を選ばせる。とりあえず金魚は3匹買って帰り、飼育に必要なものも一通りそろえた。しばらくして、もう2匹追加した。・・・が、追加したうち1匹はすぐに死んでしまった。今、残った4匹は元気で暮らしている。

もともと、私が小さい頃に家で金魚を飼っていた。結構長生きをしていた金魚がいたのだが、自分が川で捕まえてきた小鮒やドジョウなどを水槽の中にじゃんじゃん入れたため、水槽の中の金魚たちは死に絶えてしまった。何かの病気が蔓延したのだろう。金魚は父が飼っていた。金魚が全滅してしまって、父は相当ショックを受けたに違いない。

自分が金魚を飼うようになって(世話はしていない)、金魚にも愛着がわくようになった。この金魚たちには長生きをしてもらいたいものだ。金魚の世話をしてくれている妻にはとりあえず感謝をしている(自分が出来ないことをしてくれていることに対して)。

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参観会

昨日、子供の参観会があったので参加してみた。日曜日に参観会があるといわれて、「へぇ、休みを返上して授業をやるようになったか」と感心した(もちろん、代休はあるのだが)。小学校の全学年で参観会が行われた。自分は用事で参観会にしか参加しなかったが、その後、教育方針の説明やPTAの総会が開かれたようである。

日曜日だけあって今回もお父さんの参加が多かったように思う。家族総出で来ていたところもあるようだ。私の持つ参観会のイメージといったら、まず参観会は平日に行われるものであり、見に来るのはお母さん達だけで、子供達は教室の後ろにずらっと並んでいるお母さん達の視線を感じつつ緊張して授業を受ける、といったところだろうか。今回の参観会はそのイメージとは違ったものだった。

参観会は国語の授業であった。何をするのか興味津々で参加したのだが、内容は子供達同士での「名刺交換」をするというものだ。自分でカードに「いちねん ○○○○(氏名)」と書き、自分の好きなものを2つ絵で描く。それをクラスの友達に渡すというものだ。カードは3枚ある。先生の指示は、クラスであまり話したことのない友達に渡すこと。そのうち最低1枚は異性の友達に渡すこと。渡す時には、「○○○○(氏名)です。○○と○○が好きです。よろしくお願いします」と言うこと、の3点である。

親としては自分の娘がやはり気になる。どういう動きをするのかと思って見ていると、クラスの中をうろうろするだけで一向に名刺交換をする気配がない。「一体何をしているのだ!」と段々イライラしてくるのだが、見ているより他はない。それでも最後には先生の手を借り名刺交換を無事終えたようだ。やれやれである。

しかし、子供というのは面白いもので名刺交換ひとつするにしても個性が現れる。名刺交換が始まった瞬間に女の子のところにダッシュして、おもむろに手をつかみ名刺を交換する男の子。彼は結局女の子としか名刺交換をしていなかった・・・。逆に、女の子としか名刺交換が出来ないといっている女の子。明らかに何もしていない(出来ない)子。実に様々である。

もし、自分がこれをやっていたら・・・まず間違いなく、もじもじ君になっていたハズだ。

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新しい手帳

しばらく使わずに放って置いたカバンの中を整理していたら手帳が出てきた。2007年の手帳なのだが、パラパラとめくって見ても何も書いていない。新品同様である。

自分で手帳を買うことはめったになく、この手帳も自分で買ったものではない。なぜ買わないかといえば理由は簡単で「使わないから」である。年が改まって去年の手帳を見る度に、「あぁ、また使わなかったな。」という感想を毎年もらしている。手帳は予定を書き込んだり、メモ帳代わり使ったりなど用途は広いと思うし、手帳がないと何も始まらないという方も多いだろう。しかし、自分には記録を残すという習慣がない。

記録を残す習慣のない自分が、過去に一度だけ日記をつけたことがあった。きっかけは大学の入学式の時に、記念品としてもらった分厚い日記帳のようなものである。その日記帳は、大学生活の記録を残しておこうかな・・・という気にさせた。大学の授業が始まったその日から、三行ほどの日記をつけ始めた。何日続いただろうか。気が付いたら、その日記帳の所在が分からなくなっていた。つまり、日記をつけることがなくなり、日記帳自体がどこかに行ってしまった・・・ということだ。アパートを引き払う時、その日記帳がひょっこり出てきた。今はその日記帳も完全に紛失したが、記憶をたどると5月を待たずに日記は途絶えていたように思う。

記録を残す習慣のない自分がブログを始めた。始めて何日かは毎日更新しようと努力したわけだが、やはりそれは無理な相談だったようである。一週間に一回更新できればいいか、と思うようになった。これが一ヶ月となり、一年となり・・・いずれ更新しなくなる。そうならなければいいな、とは思うが自信はない。

さて今年の手帳だが過去の経験を生かして買いもしなかったし、もらうこともなかった。来年は”後悔”をしなくて済むだろう。

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変換ミス

新聞で変換ミスの年間賞は「馬食い家内が象サイズになった(うまくいかない画像サイズになった)」との記事が出ていた。パソコンや携帯電話の文字入力で生まれる秀逸な“漢字変換ミス”を集めた「変漢ミスコンテスト」・・・というのがあるらしい。

私がまだ大学生だった頃、レポートや論文の提出はワープロを使っていた。変換ミスなどは頻繁にあり、しかも訳の分からない変換をしてくれるので、締切時間にいつも追われていた自分はいつもイライラしながら画面に向かっていた。当時は”秀逸な変換ミス”を楽しむ余裕はなかったが、「東海銀行」を「倒壊銀行」と変換した時には思わず笑ってしまった。

「馬食い家内が象サイズになった」という変換ミスが年間賞をとったのは、世の夫達の共感を得たためであろう。かく言う我が家も、その通りである。

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入学式

今日は小学校の入学式だった。うちの娘も今日から小学生になった。学校は家から歩いて10分ほどだが、今日初めて娘の通う学校の校内に入った。新一年生の数は50名で2クラスしかなく、そのうち外国の方(ブラジル人であろうか)が6人ほどいた。ご父兄の方たちを眺めると、ご夫婦で入学式に参加されている方が以外に多かった。自分もそのうちの一人である。

自分が小学校に入学した時のことを考えると、お父さんが入学式に来ていた家庭は少なかったのではないかと思う。仕事を優先される方が多かったのかとも思うが。それから入学する児童数も多かった。実際、1年生は確か6クラス(1クラス40人はいた)あった。そして、外国の方は1学年で1人いたかどうかである。こういうことを考えると、少子化とか在留外国人の増加が目に見えるようになる。

入学式が終わり、教室で配布物の確認だとか何だとかやっているうちに11時。写真の撮影を終わって、帰宅。配布されたものを全部娘のランドセルに放り込んで、彼女に背負わせたら重いの何のと文句タラタラである。本当に学校へ行けるのかと思ったりするが、まあ何とかなるだろう。

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ボウリング

久しぶりにボウリングをやった。2ゲームを投げてアベレージ120後半といったところだった。思っていたよりスコアが伸びなかった。

初めてボウリング場に行ったのは中学生の時だった。確か友人が家族でボウリングに行くというので、一緒に行かないかと誘われたと思う。あまりよく覚えてはいないが、100前後のスコアだったと記憶している。結局、高校卒業するまでにボーリングをしたのはこの1回だけだった。

大学に入って、ボウリングのマイブームが訪れた。サークルのメンバー達と授業をサボってはよくボウリングをした。1日5~6ゲームは当たり前で、ある時期ほぼ毎日通っていたような気がする。それだけやってもなかなか上達せず、200以上のスコアは出せなかった。そのうちボウリング熱も冷めてボウリング場から足が遠のいた。

熱中していた当時を思い出してみても、うまくなるような努力というか研究はしていなかったなぁ、と思う。ただ何も考えずに投げているだけというか。ただボウリングが楽しくて仕方がなかった。

今は、当時のように何も考えず面白くて熱中できるようなものを見つけられていない。

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