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2008年3月

憂鬱

春はあまり好きな季節ではない。気温も暖かくなり、いろいろな花が咲き始める。生命の息吹を感じるよい季節なのだが、「花粉症」を発症してからというもの自分にとっては憂鬱な季節になってしまった。

花粉症には13年前にかかった。当時は名古屋で働いていた。通勤には原付バイクを使っていたのだが、走っていて目のかゆさが気になりだした。その日(2月の終わりごろだったと思う)から、目はかゆい・鼻水が出る・くしゃみが出るなどのアレルギー症状が続いた。「花粉症」という名前が既に聞かれるようになっていたように思うが、自分が花粉症になったという認識はそのときはまだなかった。毎年同じ時期になると決まってくしゃみ・鼻水・目のかゆみといった症状がでるようになり、ああ自分も花粉症患者の仲間入りか、と思うようになった。

花粉症の対策などといっても、市販の鼻炎用カプセルを買ってきて飲む程度。根本的に治療しようなどとも思っていないし、それ以前に花粉症って治るのか?と思っている。そんなことだから13年間花粉症の症状に付き合っているし、この季節が来ると「ああまたか」と憂鬱な気分になる。花粉症ではなかった妻も、どうやら去年あたりから「お仲間入り」を果たしたらしい。ただし、何のアレルギーかは分からない。去年の秋ぐらいに、くしゃみを繰り返し、「しんどい」と言っていた。

花粉の飛散量で症状の出方も変わる。「今年は花粉の量が多い、少ない」で一喜一憂する年月がまだまだ続きそうだ。

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被疑者

最近は物騒な事件が多い。いつどこで何が起こってもおかしくない、そんな世の中になっている。事件の原因を探る中で注目されるのが容疑者の「家庭」である。家庭環境がすこぶるよく、本当に円満な家庭から凶悪犯がでた、という話はあまり聞かない。逆に「悪かった」というのがほとんどではないかと思う。家庭不和が事件の原因だとは言えないが、何らかの要因になっているのは確かだろう。

「何をやってもよいが警察の世話になることだけはするな」というのが自分の親の言い分であった。それ以外あまり細かいことを言われた記憶はない。今までに警察の手を煩わせたことは何回かあった。交通違反を何回かやり、物損事故を起こしたり、交通事故の被害者になったり等々。一生のうちで全く警察のお世話にならないことは不可能ではないか、と思ったりもする。親の言う「警察の世話」とはもちろんそういう意味ではないのだが。

過去に一度だけ、刑事事件の犯人ではないかと警察から疑われたことがある。大学時代、アパートから最寄駅までの長い道のりをトボトボと歩いていた時のことだ。前から警察官が2人歩いて近づいてきた。やり過ごそうと思ってよけたら、声を掛けられた。職務質問というものらしい。所持品を見せてくれと言われたので、もっていたカバンを差し出す。中身は授業のテキスト、ノート、筆記用具などである。特に不審な物はなかったとみえて「ありがとうございました」と言い、その場を離れようとした。一体何があったのか興味があったので、試しに聞いてみた。

「何かあったんですか?」

「この付近で下着を盗まれたと通報がありまして…」

「下着ドロボウ…ですか?」

「ええ、あなたが通報された犯人の特徴に似ていたもので。」

「へぇ…そうですか。」といった会話をした後、そのまま別れた。

「俺は下着ドロボウに間違われたのか…。」長い道のりが余計に長く感じられた日だった。その後、その下着ドロが捕まったという報道は、少なくとも自分の耳には聞こえてこなかった。

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東名で

ここ1、2年東名高速道路を走ることが多くなった。つい先日も東名をごく普通に走っていた。休憩をとるためにパーキングエリアに止まった時、何気なく車の周りを一周してふと気付いたことがある。タイヤの空気が一本だけ異常に少ない。パンクか・・・と一瞬青くなった。あと走らなければならない距離は200Km以上あるのに。運悪くこのPAにはガソリンスタンドがない。しばらく思案した後、つぎのSAまで走ることにした。売店のおばちゃんによれば、そこまでの距離は16Kmあるとのこと。何とかもつだろうか。

同乗者が4人ほどいたのだが、いたずらに不安をあおぐのもどうかと思い、何も言わずに出発した。通常とばす傾向にあるのだが、さすがにそんな気にならずトラックの後ろをトロトロと走った。高速道路の運転は随分慣れているはずだが、このときはさすがに緊張した。何とか無事に目的のSAに辿り着き、ガソリンスタンドへ。

タイヤを見てもらったら、バルブのゴムが劣化して空気がそこから漏れているとのこと。「交換しますか?」と問われたので「お願いします!」と即答。空気が抜け続けるタイヤを履いてこのまま走れるはずもない。ガススタのお兄さんがこんなに頼もしく思ったことはなかった。同乗者たちにはここで事情を説明。ちょっと驚いたようだが、今何事も起こっていないのですぐに平穏を取り戻した。

手際よく問題の箇所を交換してもらい出発。目的地の到着時間には1時間ほど遅れてしまったが、事故を起こし、最悪命を落とすことを考えれば大したことではない。事故を起こす前にタイヤの異常を気付かせてくれたこと、修理するまでタイヤをもたせてくれたということを天に感謝するものである。出発する前に車の点検はやっぱり必要だ、と感じさせてもらった。

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ペヤングソース焼きそば

大学時代に、一時引きこもりのような状態になったことがあった。初めて実家を出て一人暮らしのアパート生活を始め、3年経った頃だった。2~3ヶ月ぐらいだったが、とにかく何をするにもおっくうで、だらけた日々を送っていた。

そのアパートはまだ新築であったが、立地条件はすこぶる悪かったと思う。窓から見える風景は、山と田んぼとJRの線路、そしてその線路の横を走る農道(舗装はしてある)であった。普段聞こえる音といえば、電車の音とアパートの住人がたてる物音ぐらいなものであった。夏の夜となれば、かえるの鳴き声が大音量で聞こえてくる。アパートの建っている場所は、集落のはずれであった。

何をするにも不便さは付きまとった。車でもあれば全然違った生活ができたのだろうが、それは貧乏学生にとっては贅沢というものだ。主な移動手段は「電車」と「自分の足」で、大学へは電車で通っていた。大学は最寄の駅から2つか3つ先の駅の近くにあり、実際駅から大学の校舎が見えた。問題はアパートから最寄の駅までの距離にあった。今思い浮かべるに「遠い」という印象しかない。

人間は霞を食べて生きることはできない。食料を調達して調理をし、それを食べて生命を維持しなくてはならない。しかし、その食料を調達するのにも骨が折れた。駅からアパートに帰るときに、途中で小さなスーパーに寄って買い物をした。途中で寄るといえば聞こえはいいが、実際はかなり遠回りをさせられた。カバンを担ぎ、手にはレジ袋いっぱいになった食料を持って遠い道のりをトボトボ帰るのは結構きつい。心身ともに健康であればそんなこともあまり感じられらないのかもしれないが、体調の悪いときもあったし、気が滅入るときもあった。そんなときの気持ちといえば「最悪」の一言に尽きる。なんでそんなアパートをわざわざ借りたのだろうと、今思えば不思議である。

さて、引きこもり状態にあり、グータラな生活をしていても腹は減った。あの道のりを歩いて食料を調達しなければならないのかと思うと気は重かったが、意を決して外出し、持てるだけの食料を手にして帰ってきた。しばらくはその食料でしのいでいたが、食えば無くなるのは当然のこと、手元に「ペヤングソース焼きそば」ひとつが残された。カップにお湯を注ぎ、3分待つ…はずだったのだが、ゲームに夢中になっていて「ペヤング」の存在を完全に忘れていた。気付いたのは45分後で、慌てて湯きりをしようとするものの何も出てこない。おそるおそるフタを開けてみると、ありえないぐらいに膨張している麺の姿があった。自分に残されている食料はこの「ペヤング」だけだ。ソースをかけてかき混ぜるが、全くソースが麺に絡まない。麺は「これ以上液体を吸収できませんよ」と言っていた。

未だかつてこれ程まずいインスタント焼きそばを食べたことはなかった。「ペヤング」がまずいといっているのではもちろんない。この後、しばらくして引きこもり生活から抜け出した。何で引きこもり生活が始まったのか、何で抜け出したのかは、今思い出そうとしてもよく分からない。

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家出のドリッピー

新聞をみると、たまに英語教材の広告が載っていたりする。さまざまな英語教材の中で一度だけ試したものがあった。「イングリッシュアドベンチャー」というものだ。広告によると今まで240万人以上もの人々が、この教材で学んだらしい。それだけいいものということだろうか。 

さて、もともとこの教材に手を出したのは妻であり、彼女がまだ妊娠中に”暇なので”無料視聴に応募したのだ。応募したら早速教材が送られてきた。”家出のドリッピー”・・・初級コースの第一回目である。やめたければ10日以内に送り返せばいいというものらしかったが、ぐずぐずしているうちに10日を過ぎていた。

妻は英語が得意ではない(と思う)。それ以前に勉強が好きではない(と思う)。ではなぜ彼女はそんなもの(教材の販売元には失礼な話だが)に手を出したのか。自分は一度彼女を連れてアメリカで暮らそうとしたことがある。実際に2ヶ月ほどアメリカに住んだ。結論から言えば、大失敗であった。彼女は文化(言語)になじめず、また妊娠初期でつわりがひどかったため、心身ともにまいっていた。そしてひとり日本に帰っていった。そのうち自分も日本に帰ったが、そのことが心に引っかかっているらしかった。仮に彼女が英語に堪能になったとして、それでどうなる問題でもない。しかし、彼女の好きなようにさせておいた。しばらくはヘッドホンをかけて熱心に聴いているようであったが、どれ程の効果を生むものなのか皆目見当もつかない。

・・・1年経って、初級コースが終わったらしい。中級コースに進むかの案内は来ていたようであったが、特に継続する意志はないようだった。子供が生まれていたし、英語への情熱も冷めている。いや、もともと英語力を向上させる気があったのか疑問だ。今となっては妻の英語力がどうであるかなど、”でもそんなの関係ねー”である。ただ”家出のドリッピー”が箪笥の肥やしになっているのは、どうももったいない。そこで一度聞いてみた。普通に面白い話だった。英語に触れなくなってしばらく経つが、記憶を呼び起こすにはいい教材だった気がする。「気がする」というのは、引越しをした時にどこにいってしまったか分からなくなったからで、いま聞こうとしても聞けないからだ。いつの日かひょっこり出てきたら、娘にでも聞かせようか・・・。

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父の誕生日

3月20日は父の誕生日である。同じ市内に居ながらも、両親とは別々に暮らしている。なぜか?理由はじつに簡単・・・父と自分、仲がよろしくない。「仲がよろしくない」と言うと、会えばいつもけんかをしているような印象を与えるかもしれないが、そうではない。思ったことをどうもうまく話せないし、特に話すべきこともないといったところだ。1年程前までは、両親と一緒に住んでいた。父と顔をあわせるのは食事をする時ぐらいであり、あったからといって何を話すわけでもない。沈黙に耐えることのできない自分としては、非常に苦痛を伴う時間であった。何か話題はないものかと思案してみるものの、どうも適当な話題が見つからない。その結果、黙々と食事をすることになる。父も今年で75歳になった。考えてみれば、父の誕生日に何かお祝いをしてあげたこともないような気がする。しかし今年は父の誕生日にプレゼントと手紙をあげることができた。自分がではなく、自分にそっくりな娘がである。娘は先日幼稚園を卒園し、今日ばあば(自分の母)と旅行に出かけている。じいじ(父)はお留守番らしい。娘は昨日の夜から、じいじに渡す手紙を準備していた。プレゼントは妻が用意していた。今朝、父は手紙とプレゼントを孫から受け取ったはずである。どんな顔をして受け取ったのだろうか?自分が父に心からのプレゼントを渡せるのはいつだろうか。

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